好きな女がぽっと出の男と結婚しても悔しくはない

先日、女友達に恋人ができた。それを喜んでいたら、男に「誰かもわかんない男に取られて悔しい、みたいな気持ちはないの?」と問いかけられた。

男がその発言に至った元をたどると、「好きな女友達がぽっと出の男と結婚した……私の方がずっと仲良かったのに……」みたいな、BSS(僕が先に好きだったのに)ならぬ、WSS(私が先に好きだったのに)みたいな文脈が流行りだしているところにたどり着く。

あれは結局、ポジションを有耶無耶にしたままの戯言、もしくは女同士の親愛をコンテンツにしたい何者かによるファンタジーで、実際のところはちょっと違うように感じている。

私自身の話をすると、学生時代からの女友達の中に、かなり好きな女がいる。その女のことはたぶん一生好きだと思うし、学生時代の輝かしい思い出もある。ぽっと出の男が見たことがない顔も、きっと見たことがあると思う。

けれど私がぽっと出の男と大きく違うところがあって、私は彼女の人生に責任を取ろうと思ったことはない。これは私のとてもズルいところで、女友達というポジションに甘んじて、見て見ぬふりをずっとしている。

つまるところ、彼女の「人生の伴侶」というポジションに座る気概がないのだ。「お互い恋人とかいなかったらさ〜、一緒にシェアハウスとかしようね!」とかいう、友情の延長線の話ではない。彼女は魅力ある女性として真っ当にモテるし、男もよりどりみどり。その中で、どの男でもなく私の手を取ってください、正当なパートナーになってくださいと戦い抜く根性があるかどうかだ。

「一緒にマンションを買おう。養子を貰って、大きくなるまで育てよう。老いたら介護だってするし、あなたがつらいときも悲しいときも支えるよ。なにかの理由で働けなくなってもさ、そのときは私が養ってあげるから心配しないで」。そう彼女に真正面から言えたなら、彼女がぽっと出の男と結婚したことに対して悔しがってもいい。逆に、言えない時点で土俵には立っていない。

これに対する「いや、人生? 何の話? 女が女友達にそんなことは言わないでしょ。ヘテロ同士なんだから」というツッコミは最もで、普通そんなこと言わないのだ。女友達のことが好きだと言っても、そこまでではない。人生は賭けない。女友達として楽しくやるぐらいの距離感で、友人として愛している。彼女の人生に責任を取ることなく、むしろぽっと出の男に取らせて、友人として楽しいところだけを享受している。

「好きな女の人生に対する責任は、他の男に取ってもらいたい。そうして自分は彼女と楽しく友達であり続けたい」。これは女友達という立場にあるからこそできるズルで、これがズルいことだとまだ公にはなっていない。気づいた人間だけが抱える、後ろ暗い秘密だ。

朗らかな暮らし

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