女から久しぶりに会わないかと連絡があったのは夏真っ盛りのことで、実際に会えたのは秋に差し掛かる頃だった。
学生時代から付き合いのある女は常滑に住んでいた。彼氏と一宮で同棲していなかったっけ、と聞くと、とっくに別れていまは新しい男がいるとの回答だった。一人暮らししてるから遊びにおいでよ、と言われた新居へ向かうべく、りんくう常滑駅へ降り立って、その先の常滑イオンで女を待っていた。
私の人生で本当に可愛いと思える女は一握りで、その女はその中のひとりだった。顔が小さくて、目が大きくて、忘れ鼻。顎も小さい。芸能人というほどの容姿ではないかもしれないけれど、プリクラの補正で崩れるくらいには整った顔立ちをしていた。背は低く、胸は大きい。これだけ聞くとありがちなバカ女っぽいけれど、人の顔色をよく見ていて、場の空気を取り持つ愛嬌がある。つまり可愛くて、頭の回転が早くて、モテる女だった。
仕事終わりの女は、N-BOXに乗って常滑イオンまでやってきた。「みさとちゃん、久しぶり」とモックネックにタイトスカートの女に笑いかけられて、なんとなく人見知りした。女は変わらず可愛くて、首元にはあからさまなキスマークがついていた。キスマークを平気でつけて歩いている人種といえば盛りの10代か、謎の初老カップルというイメージがあるけれど、タイトスカートの巨乳お姉さんがつけていると、いつしかの快楽天の表紙を思い出させた。
「彼氏できたんだって?」「そう!3ヶ月目!」と女は言った。なるほど、3ヶ月目。彼女はその見た目に違わず稀代の男好きで、それ以上に男からも好かれるので、もう何人目かわからない。
「今度は誰なの?」と問えば「会社の人」と返ってきて思わず笑う。前の彼氏も、前の前の彼氏も、前の前の前の彼氏も、その前の彼氏も社内だった。社内にどれだけ穴兄弟を作るつもりなのかわかったもんじゃない。
彼女は私の笑いにつられて笑って「でも今回は出向先の人だから」と胸を張った。女は人並み以上にきちんと仕事に取り組んでいて、その実績が評価され新部署へ配属されたのだった。そしてその新部署で男をまた漁っている。
常滑イオンのスーパーでめぼしい惣菜を買ったあと、女の運転するN-BOXで彼女の家へ向かった。飛行場近く、メゾネットタイプの新築マンション。時折飛行機の音がする居間のカーペットの上には、色違いのビーズクッションがふたつ置いてあった。
「同棲してんの?」問えば、「まだ」と言う。「しないの?」「するとね、面倒くさいこともあるから」わかるでしょ? というように笑った彼女に頷いた。わかるよ。彼女のかわいさは、その捉え所のなさに起因している部分もある。寝食を共にするのは、翼を捥いで差し出すようなもんだろう。それもひとつの愛だけれど、タイミングがある。
彼女はコントレックスのペットボトルを持ってきて「これしかないけどいい?」と首を傾げて聞いた。いいよ、と言えば内側の赤いマグカップに注いで渡される。きっと美容のためとかそういった理由で飲んでいるのだろうなと思った。かわいい女はなんにもしてないような顔をしているのに、隠れた努力を惜しまない。彼女の家は男の痕跡と、美容への興味が見て取れた。
テレビをつけて、惣菜を開ける。男のものであろうビーズクッションに座って、近況についてなんとなく口にする。女とは古くからの付き合いではあったが、昔の話をすることは殆どなかった。昔を振り返るほど現状に飽きてはいない。私たちを取り巻く有象無象は星の数ほどあって、特に女の話は面白かった。大した話ではなくても、人が喜ぶように話すことができる女だった。
「今の彼氏、どうやって付き合ったの」棚に置いてあるマイプロテインの大袋は男のものだろう。私の問いに、彼女はなんのてらいもなく口を開いた。「仕事の品出し中に」「うん」「セックスしませんかって」そんな話があるかよ、という顔をすれば、にやと笑う。女にしか見せない顔だ。目が細まって、きゅ、と唇が上がる。憎らしいぐらいかわいい。
その男──現彼氏はまあ驚いたろうな、と思う。出向でやってきたSOD女子社員みたいな女。見た目だけのバカ女に見せかけて、驚くほど頭の回転が早い。まあ惹かれるだろう。かわいくて仕事ができて愛想のいい女に心酔しない人間なんていない。そこに虚を突くような「セックスしませんか」である。商品棚の前、煌々とした照明の下、遠くで鳴る店内放送。目の前には見上げる女、瞬く長いまつ毛、悪戯げに笑う唇。現実に降り立ったFANZA。あ〜あ。
「彼氏、いい人なの?」「どうかな。でも多分、いい人だよ」そうだろうな、そうだろう。できればずっと、この女を大事にしてくれるといい。けれどきっと、そうはならない。
この女と付き合う十年の間、数々の男が彼女に愛を囁き、重石を乗せられ沈んでいった。みんないいヤツだった。けれどかわいい女っていうものは、人を狂わせる。彼女の愛は背負うには強大で、難解で、最初は素晴らしかったものが、なにか咎のようになっていく。なぜそうなってしまうのか、おおよその予想はつくけれど、本当のところはわからない。真実を知っているのは、舞台に上がって手を伸ばした男達だけだ。
これまでも、これからも、彼女の舞台に上がることはない。だからこそ十年付き合えている。近づいたが最期、結局はこの女から離れることになってしまう。
女友達っていい役割だな、としみじみ思う。彼女の人生に責任を取らなくても、ずっと一緒にいられる。友愛って無責任だ。人生の節目節目に、笑って話を聞けばいいだけ。ちょっと親身な顔をすればいいだけ。それだけでかわいい女との縁が続いていく。
「彼氏、今日みさとちゃんが来るって言ったらさ」「うん」「3Pする?って言ってたよ」「カスじゃん」ゲラ、と笑う。その冗談めいた一言だけで男の種類がわかるぐらいには、彼女のこれまでを知っていた。タイプBだ。半年以内に大喧嘩するやつ。けれどきっと寄りを戻して、まあ一年は続くやつ。実際のところ、彼女が男と続こうが続かまいが、なんだってよかった。彼女の魅力は男のあるなしで失われない。留まっていても、流れていても、その場で一際輝ける女。彼女のそういうところを尊敬していたし、なにより好いていた。
遠くで飛行機の音がする一室でひとしきり喋れば、もう随分と夜が更けていた。彼女の車で駅まで送ってもらう。次に会うのはきっと一年後、二年後──いつになるかはわからない。流れるような呼び出しで、適当に会うだけの仲だ。付き合いの長い女友達なんて、そんなもんだろう。
女の運転するN-BOXのバカみたいに広いフロントガラスを助手席から眺める。「常滑、いいところ?」「まあね、コストコあるし」「いいね。常滑の隣って何だっけ」「半田」「半田ね」ぼんやりと知多半島の地理を思い浮かべる。名古屋市以外の地理は未だ覚えきれない。覚える気もない。
「みさとちゃんはさ、もう東京の地理の方が詳しいでしょう」女は正面に視線をやったまま言う。横顔が幼い。表情だけは十年前となにもかわらないままの女が眩しかった。「東京楽しい?」「え〜……悪くはないけど」 悪くはないけど、お前みたいに面白い女は、お前みたいに好きだと思える女はいないよ。きっとこれからも。そんなこと、一生言わない。